広島回想〜日々雑感

1988年、父の転勤で広島に移住。中学・高校と広島で過ごした6年間の出来事と記憶をひも解きます。

2017-01-01から1年間の記事一覧

八丁堀にて

今朝は二度寝して大手町の宿を10時丁度に出た。八丁堀天満屋の丸善に行って、近くのタリーズで阪大願書の志望動機をほぼ完成させた。博士を出て部長級まで昇進、上がった給与自分の好きな事が出来るのなら、阪大に進学する甲斐も有ろうとの結論に落ち着きつ…

広島大手町のホテルに投宿

折角広島に来たのだから、夜の街を歩きたい気分だが今日は疲れた。土曜にしては珍しく9時に起きて、阪大の願書を書いて、年賀状を書いて出して、証明写真を二度撮ってと、気の抜けないイベントが多過ぎた。

広島へ

阪大博士後期課程への願書提出が迫る中、志願の決意を自ら問うため今から広島に向かう。16年前、同じく阪大博士後期課程への進学を考え、その時も最終判断をしに広島を訪れた。紙屋町から西に歩き相生橋を渡る途中で、修了後の進路の不透明さから、職を辞し…

年末、広島へ

娘の教育費が貯まらない中、妻子が横浜の実家に帰る間だけでも、私は25年前に中学高校を過ごした広島に還り、当時の記憶を少しでも呼び起こそうとする。帰巣本能か懐古主義か、心の傷が癒しを求めているのだろう、紙屋町から庚午へと帰る路が、今の自分が何…

優しくされた記憶

28年の時を経て、中学時代に優しくして貰った記憶が自分の身を穏やかに包み込む。嫌な思い出は20年も経てば忘却する。だから今、娘には言う。幼稚園の友達には優しくしてやれと。

がんばれ

中学では周りに流される形で卓球部に入った。試合に出るメンバーとは一線を画し下手者同士で遊び半分で汗を流した。その時バスケ部のYIさんが私の呼び名を読んで「○○がんばれ」と囁いてくれた。何故そう言ってくれたのか定かではないが、28年の時を経て尚…

1994年早春、脱出。

6年間に及ぶ広島での生活の終焉は、大学進学と言う不安の闇に包まれた長い受験勉強から解放される事で、それと同時に訪れた。大学進学とそれに付随する受験勉強に追われ、終わり行く広島時代を噛み締める間も無く、あたかも闇から脱出するかの様に1994年の早…

2017年8月 広島へ

16年前、退職して博士課程に進学するか仕事を続けるかで悩んでいた時、広島を訪れて最終決断をした。再就職が難しい博士課程への進学は諦めた。今度は在職のまま博士課程に進むべくその意志を自らに問うため広島に向かう。

教室の窓から

中学2年の時、放課後帰宅のため1人で校門に向かっていると、2階の教室の窓からその子は私の呼び名を叫んで手を振ってくれた。28年経った今もその子の声色が鮮明に蘇る。その記憶が長い年月を越えた今でも何かのエネルギーになる程に、大きな声だった。