広島回想〜日々雑感

1988年、父の転勤で広島に移住。中学・高校と広島で過ごした6年間の出来事と記憶をひも解きます。

2018-01-01から1年間の記事一覧

年末年始を広島で

2018年師走の30日。広島バスセンター行き高速バスが黄昏時の神戸三宮を出発した。満席で乗客の多くは帰省客だろう。訪ねる当てのない私は周囲の乗客とは間違い無く気分が異なる。バスセンター着は21時前、自宅の大掃除で疲れているはずで今夜は祇園の部屋に…

福山から広島へ

福山の料亭で接待を受けた後、新幹線で広島に入った。中電前のホテルに向かう路面電車車内は師走の金曜夜に酒を酌み交わした客で溢れていた。仕事や離婚協議の疲れが溜まっていたのだろう、翌日土曜は朝一旦庚午の倉庫に自転車を取りに行ったものの、アルパ…

祇園イオンモールへ

旧家近くに借りたトランクルームから自転車を出し、紙屋町、祇園新道経由で、イオンモールへ。自転車用に整備された新道には漸く落葉した色とりどりのカエデの葉が絨毯となっていた。帰りは太田川放水路右岸を南下。対岸に見る広島市街は当時可部街道を往来…

東京から長駆、広島へ。

金曜夕方、防衛省との会議を終えて品川から広島行きのぞみに乗り込んだ。娘と別れてから4回目の広島である。長駆4時間の旅、車内でゆっくり読書するなり物想いに耽るなり、丁度良い時間だ。明日土曜日、6本の川を跨いで自由にペダルを踏む。結局心の隙間…

縦横無尽の走り

娘と生き別れてから初めての土曜、岩国に宿を取り、アルパークを起点に広島駅を往復した。広島で初めて踏んだ8速クロスバイクのペダル感は、何時までも何処までも疾走できそうな予感だった。晩秋の広島の風はこの3ヶ月の戦塵を綺麗に洗い流した。心地良い疲…

明日、娘との別れを報告しに、広島へ

ブリヂストンのクロスバイクを車に積んで、新井口からスタート、広島駅を往復する予定だ。秋の観光シーズンで市内に泊まれず、岩国に宿を取った。岩国で迎える朝は、単身生活が始まった自分に軽やかな新風を吹き込んでくれるのか、重たい空気を負わせるのか…

娘との別れ

10月29日に娘と別れた。その事は前日に娘に伝え、娘は食物が喉を通らなくなった。何度も泣いて、抱き合い、励ました。娘は最後に私が大好きだと言って、別れ間際にもう一度抱き付いて来た。断腸の思いだった。

明日、娘との別れ

正に今の私と娘の境遇を表しているかの様な内容のプリキュアの映画を観た後、明日お別れとなる事を車の中で娘に伝えた。娘は驚きを隠せなかった。娘とは約束を4つ結んだ。月一回会って温泉に行く。強く生きる。人に優しくする。勉強を頑張る。それらを紙に…

ホテル川島からみっちゃん総本店へ

ホテル川島に投宿し休憩した後、ビックカメラでパソコンを見て、城北通り、白島通りと歩いてみっちゃん総本店へ。金曜の夜、店内は飲み屋と化していた。小雨が降る中、八丁堀経由で歩いてホテルに戻った。娘の引渡しは月曜。一時代の終わりであり、同時に新…

娘との別れを決して広島へ

10月25日に風邪を引いた事で会社の年休が減った。昇進を考えるとこれ以上裁判沙汰に関わる事は出来ない。子供を母親側に任意で引渡す事を昨日決心して、今日は仕事を終えて広島に向かっている。家出して3ヶ月休み無しだった身体が自ずと帰郷を求めた。

広島平野

中学高校時代、辛い時も楽しい時も、ペダルを踏んで漕ぎ出した広島平野。学校が終わって独りになれる時間はこの頃から好きだったのだろう。娘との二人の生活が終わる事になれば、また独りになって広島平野に抱かれに行く。

審判後に広島へ

今そばにいる子供を相手に引渡すかどうかの審判が9月25日に行われ、28日は金曜日ながら仕事が公休なのでこの機会に広島を訪れようと想う。審判の結果がどうであれ広島が原点である事に変わりはない。判決後は何れにせよ新生活が始まる。その心の礎を求めに広…

父親不在だったMKさん

シンパパになって1ヶ月が経過した。几帳面な性格の娘との相性は悪くない。ただ娘にとって母親不在なのは不憫だ。思い出すのが中学1年の時に告白されたMKさんが父親不在だった事だ。しかしその子には何もしてやれなかった。それから30年が経過した今、目…

娘と家を出て20日

7月24日に娘と共に家を出て20日が経過した。昨日から生活に余裕が出て来てファイナルファンタジーⅢのクリスタルタワーと闇の世界を久し振りに聴いた。するとどうだろう、忙しくも自分らしく生きて行ける今の生活が広島時代の延長に思えて来る。6歳の娘との…

娘と家を出て20日

7月24日に娘と共に家を出て20日が経過した。昨日から生活に余裕が出て来てファイナルファンタジーⅢのクリスタルタワーと闇の世界を久し振りに聴いた。するとどうだろう、忙しくも自分らしく生きて行ける今の生活が広島時代の延長に思えて来る。6歳の娘との…

校庭から蘇った記憶

大学生時分、未だ高校の友人と年に1度は会って居た頃だ。母校の舟入高校を卒業してから初めて訪れた。新築された校舎を通り抜けて当時と変わらぬ校庭を見渡した時、好きだったAKさんの記憶が鮮烈に蘇った。自らの意思では無く、視界に広がった校庭が反射的に…

2018年盛夏、広島へ。

2018年8月11日から19日までの9連休、小径自転車を車に積んで5日間程広島に滞在する予定だ。滞在地は広島駅新幹線口か中区大手町。そろそろ予定を確定させねばならない。住む様に滞在し、自転車で広島平野を駆け巡り、当時の記憶や心情が蘇るだろうか。

高校のアルバムを開いて

実家から持ち帰った高校のアルバムを久し振りに開いて、何か湧き起こる感情が有るかと言うと、卒業から24年経った今では、好きで仕方がなかったAKさん以外、誰を見ても砂を噛んでいる様な感触しか無い。私の高校時代は、AKさんと受験勉強と自転車で走る事し…

バスケ部女子の笑顔と挨拶

先週、娘を進学させようとしている私立中高の説明会に行った時、バスケ部の女子が、体育館から飛び出そうなボールを捕まえようと、きゃっきゃっと言いながら、説明会に来た小学生やその保護者達に、体育館の中からだと言うのに何度も「こんにちは」と挨拶し…

大手町からアルパークまで疾走

4月30日、大手町のホテルに投宿した後、ホテルに貸し自転車があるのに気付いて、思わず漕ぎ出した。中学高校時代から体重は20kg以上増えており、電動アシストでも無い限りペダルを踏んでも進まないだろうと思い込んでいた。しかしひと踏みするとどうだろう、…

広島が広島へ呼ぶ

家内の許可が出れば5月1日にも広島を再訪したい。4月22日に訪れたばかりだが、暫く土を踏んでいない舟入や草津を始めとした広島平野の至る所が、中学高校時代を思い出しに来いと言っている。将来広島に移住する以外に気持ちを充足する方法は無いかも知れない…

広電古江駅

広島市内の移動方法は殆ど自転車だったが、広電を使う事もあった。旧家の最寄駅、古江駅は新緑の黄昏時を迎えて25年前と全く変わらない佇まいを見せていた。当時は自宅で夕食が待っていたが、今日帰る先は大手町のホテルだと言う事が唯一の違いだろうか。

広島平野周遊の起点だった庚午三差路交差点

庚午中三丁目のバス停を降りて思わずレンズを向けた庚午三差路交差点。25年前、自宅から高校へ、また広島市内へ繰り出す起点となった。面影は当時と何ら変わらず、今また広島平野を駆け巡ろうとしている気がして、振り返えって立ち止まらずには居られなかっ…

広島へ

GW前の日曜、新芽が出る季節。先日まで家内と喧嘩して何時もの様に離婚話になって、子供と家出しようかと思案しながら広島行の高速バスに乗り込んだ。育児家事を家内に任せるから喧嘩になる。であれば料理以外の育児家事を全て自分がしようか。家出の練習に…

娘へ。

娘が中学生になったらこのブログを娘にだけ公開しようと思う。私の中学高校生活は、鼻に付く言い方なのを承知で言うが、成績優秀者が故の苦しみと、恋愛禁止で育てられたが故の数多の女子への懺悔の繰り返しの様なものだった。蛙の子は蛙、娘もこれから勉学…

謙虚と言われて

中学3年の時、クラスで2番目に可愛い子に「○○って謙虚だね〜」と言われた。当時私の成績は学年2位レベルだった。しかしそれは生まれ持っての才能であり、才能なく生まれた人に対して決して上から目線の態度を取ってはいけないと、小学校5年の頃に自ら悟った…

将来、広島へ

老後、会社から必要とされなくなったら、広島に移住するのも悪くない。居を構えるのはやはり庚午か古江がいい。一人寂しく佇むだけで、心の奥底が求めているものを満足するかも知れない。

3月3日の広島訪問中止

3月2日の高知出張の帰りに広島に行こうとしていたのだが、桃の節句である事を例年の如く失念していた。3月2日は夜遅くなっても良いので帰宅しよう。3月中に有給を1日取って、1泊2日で広島に行く。

修学旅行に不参加だったAKさん

高2から高3へ上がる時はクラス替えが無かった。高2の時から好きだったAKさん。高校時代の自分の心の中の大半を占めていた彼女だが、一旦彼女に就いて語り出すと今でも想いが溢れ返りそうでこのブログでは今まで触れなかった。彼女が修学旅行を欠席していた事…

次回の広島訪問

3月2日金曜に高知に出張して、その帰りに岡山から舳先を広島に向け、大手町の定宿に一泊する予定だ。大学進学のため中高六年を生活した広島を発つ事になり、受験勉強からの解放と新生活への不安と言う、混ぜて中和しようにも反発し合う二つの感情を抱えた高…