広島回想〜日々雑感

1988年、父の転勤で広島に移住。中学・高校と広島で過ごした6年間の出来事と記憶をひも解きます。

2016-01-01から1年間の記事一覧

暖房音

2016年晩秋。エアコンの暖房音を聞くと、今でも22年前のセンター試験当日の朝を思い出す。眠れない夜を通して、その日の朝だけはエアコンの暖房をつける事を許された。センター試験は、受験戦争の幕引きでもあり、広島時代の終わりがやって来た事を告げるも…

中区スポーツセンター

9月に入って猛暑が和らいで広島に来た。広島駅から市内電車で宇品に行き、広島駅に戻る途中中区に広電本社前で降りて中区スポーツセンターに行ってみた。高校2年と3年の時、友人達に誘われてバドミントンをしに足繁く通った。汗を流した後は決まってトランプ…

高校1年の秋

吉島に住むクラス友達のY君の家に足繁く通った。いわゆる同中同士で周囲が仲良くなっていく中、同中仲間が1人もおらず友達作りでスタート地点から出遅れていた私に、Y君は真正面から向き合ってくれた。帰宅する頃には既に真っ暗になっていた高校1年の秋であ…

野球部のK君

高校2年生になって暫くは座席が出席番号順だった。私の後ろだったK君は、未だ周囲に溶け込めていない私に時々話し掛けてくれた。K君は野球部で黒く日焼けしており、湿った性格の私とは何もかもが正反対だった。そんな彼とどんな会話をすればいいものか当時は…

アストラムライン

広島を去る事になった1994年春には未だ開業していなかったアストラムライン。新白島から大町まで乗車した。夏になると、暑さを愉しむかの様に繰り出した可部街道と太田川河岸のサイクルロード。車窓からの風景に当時の自分が見えた気がした。

アルパーク

中学3年の春にオープンした、当時まだ珍しかった大型複合施設、アルパーク。家族と、友人と、そして一人で、通い詰めた。傷を負った心の癒し場所でもあったそのモールで、今日は娘の洋服を買った。。

広島再訪4

思い立って広島へ。足繁く通ったアルパークで、娘の服を買おうと思います。

美味しんぼ

中学1年の夏、肺炎と自律神経失調症で宇品の県立病院に2週間ほど入院した。その時真っ先に見舞いに来てくれたNさんが美味しんぼのコミックを貸してれた。その場で形式的なお礼を言う事しか出来なかった私だが、嬉しかった。その美味しんぼが約30年の時を経て…

広島再訪3

本日また仕事で広島方面に行く事になった。ただ残念ながら今日は日帰りで、広島市内に滞在する十分な時間が取れない。少しでも時間があるようなら広島駅前を歩いて、当時の予備校通いの思い出を辿ってみたい。

舟入南町からアルパークへ

呉5時36分発の電車で広島に向かった。市内電車江波行に乗り舟入南町で下車。途中母校が見えたが当時を偲ぶ事は出来なかった。歩いて観音、庚午、草津を経由してアルパークへ。2週間振りの広島で、自分が何処からやってきたのか、直ぐに答えを見つける事が出…

呉遠征

高校1年の冬、北西風に小雪舞う厳しい冬型気圧配置の日、H君と自転車で呉まで走った。片道30km、当時の最長不倒距離、がむしゃらに走った。広島市内西部に住んでいた私にとって、6本の太田川を渡り、市街を東に抜ける事は大きな冒険だった。脳裏に焼き付いた…

広島再訪2

次回の広島訪問が明後日2016年6月4日に決まった。前回の訪問から1ヶ月も経たずに機会が訪れた事は幸運だ。仕事の帰り、余力のある限り歩きたい。

光と闇

中学時代を一言で表せば、それは光。私は明るかったし、周りも明るかった。明るい私が周りを明るくしたのか、明るい周りが私を明るくしたのか、定かではない。対して高校時代は闇。その根源も定かではない。光の中の闇は目立たないが、闇の中の光は一点でも…

卒業アルバム

今週末、実家に帰る。実家から中学高校の卒業アルバムを持ち帰る。怪訝に思われるに違いない。しかし、25年の年月が流れて旧友との連絡手段が無い今、当時の記憶を掘り起こすには、広島に還ることと、アルバムを開く以外に、思い当たる方法は無い。

紙屋町通い

中学1年の春、5月に入ると、毎週土日は紙屋町まで自転車を走らせた。観音、舟入と太田川を2本渡って舟入通りを北上、中国新聞本社から平和公園を抜けるルートを確立した。当時はまだダイイチと言う家電量販店があり、そこに足繁く通った。新しい環境に馴染む…

中学校への通学

中学校への通学初日だったかも知れない。同じ丁目に住むG君が、素性も分からないであろう私を、一緒に登校しようと誘ってくれた。しかも彼は一旦学校とは反対の方向を向いて私の家まで毎朝迎えに来てくれた。彼とは3年間毎日一緒に通学する事になった。

宮島街道

広島に転居してから1ヶ月も経たない中学1年の春、私は宮島街道を西に向けてペダルを踏んだ。新しい環境にまだ馴染めない中、自転車に心の寄り処を求めた。1回目こそ楽々園で折り返したものの、2回目には宮島口に到達した。当時の記憶はまだ鮮明に残っている…

金曜日の雨

高校3年生の2学期、毎週金曜日の夜は広島駅前の塾に通っていた。帰りは必ず雨だった。小降りではなくザアザアとした重たい雨。それでも自宅までの約8km、休む事なく自転車を漕いだ。それが当たり前になっていたし、広島駅前から庚午までの道のりを、淡々と噛…

黒い不安

高校3年生の夏休み、受験勉強に没頭していた私は、冷夏の夜に自転車を走らせて、中央書店五日市店に、毎日の様に身を寄せた。参考書や問題集が充実していた。その他の書籍には目もくれる余裕が無かったのだろう。書店からの帰りは、大学生活への不安を振りほ…

代々木ライブラリー

高校3年生時代、金曜夜の塾の帰りに、代々木ライブラリーに寄るのが楽しみだった。受験戦争の只中に身を置いて、唯一許されるショッピングといえば参考書や問題集を買う事くらい。その狭いショッピングエリアの中にも面白味を感じる程に、束縛されていたのか…

高校選択

高校は2校合格した。共学の公立校と、少し遠くて少し難しかった男子校。母は私に選ばせてくれた。私はただ共学で近いというだけの理由で公立校を選んだ。母は選んだ理由は聞かなかった。

当時の日記

今となっては自分の書庫で2番目に古いものになった、高校2年生当時の日記がある。勢い任せに藁半紙に書き綴った記録。幾多の引越を乗り越えて、忘れられたかの様に。

通った道

連絡の取れる友人が限られる中、今の自分にできるのは、6年間に通った道、文字通り道を再び歩いて、記憶を手繰り寄せる事しかない。

心の励み

時間が経つにつれて、好きになった子よりも、優しくしてくれた子、好きになってくれた子を、思い出す。その方が心の励みになるからなのだろう。当時は何とも感じなかったのに、25年の時を経てこう思うのは何故なのか。

海蔵寺へと続く階段

広島、草津の古い町並みと海蔵寺へと続く階段。25年前から全く変わってない。中学3年生の秋、多くの友人とこの階段を登り降りした。今はもう外で遊ぶ中学生の姿は見えない。

娘が叱られて

娘を叱って、自室に入った。どうしているかと娘を見たら、まだ夕方なのに泥の様に眠っていた。親に正面から叱られると、相当な心理的負担になるのだろう。

同じ轍

今日、子供が幼稚園で遊んでいる姿を見る機会があった。自分の幼少時代を見ている気がした。帰ってから早速叱った。自分と同じ轍を踏ませたくはない。

恩返し

転校生だった中学時代、優しくしてくれた子に恩返しする事が出来なかった。今出来るとすれば、せめて娘に、周りの子に優しくしてあげなさい、と言うくらいだろう。それでいいのかも知れない。

折り返し点

名実共に人生の折り返し点。これまで自然現象を数式化したり、数字のカラクリを追い求めてばかりだったけど、後半は180度転換して、人間的なところを追求してみたい気もする。

数十年後

ある出来事を、20年後、30年後に思い出さなければ、恐らく一生思い出す事は無いだろう。しかし何かの切っ掛けで数十年後に思い出した出来事は、一生忘れられなくなる。