広島回想〜日々雑感

1988年、父の転勤で広島に移住。中学・高校と広島で過ごした6年間の出来事と記憶をひも解きます。

谷底からの帰還

暫く記事を書く期間が空いた。しかし見えぬ読者の方が毎日訪れて来てくれている。ブログを続ける事にする。前回の記事から体調は谷を滑るように悪化した。仕事こそ休まなかったものの、十分睡眠がとれない日が続き、仕事が手に付かず、タクシー通勤するまでに体は疲弊した。単なる学歴ロンダリングが目的で一度は阪大を志願したものの、前回の娘との面会交流の後、娘が独立して自由に会える様になる60歳で神戸での仕事を終えて、関東に職を求める事を強く決意した。それであれば全国区の京大の方が関東へ移住する道が開ける事は明白だった。平日に講義があり通学は不可能とみられた京大MBAが、平日の講義の半分を出張扱いにして貰えば通学可能であることが分かり、上長からその了解を得た。毎週土曜に通学しないといけない阪大に比べ、土曜の講義は多少あるものの、半分業務扱いで通える京大MBAは、体調を崩しがちで転職エージェントにも転職は止めた方が良いと言われた自分にとって、正に渡りに船だった。しかし阪大理博も長い考慮の末出した結論であり、難関の京大MBAを目指すのか、既に教授から入学許可を貰った阪大理博を目指すのかで、大いに揺れた。その心の揺れが体調不良をもたらしたのだろう、ここ1カ月程の間、意欲が削がれて、苦悶していた。復調の切欠は抗うつ薬を増薬したこと、京大MBAを目指す事である程度見切りが付いた事だろう。しかし未だ増薬の効果は十分でないはずだ。仕事を休まない事を目下の最大の目標にして、体調管理に気を付けなければならない。